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令和3年度 第21回定例会ニュース


2月11日~14日 北アルプス 涸沢岳・奥穂高岳  高本、他2名             

★ 前日夜名古屋発、東海北陸道も例年より多い雪だった。高山市内も雪に覆われており、新穂高に向かう158号線も雪だった。12時すぎ駐車場に到着し、すぐに車周りを雪掻きして歩き易いスペースを作った。1時ごろにP君、T君も到着、二人は駐車場でテント泊なのでまた雪掻きをしてテントスペースを作った。

6時頃起床、簡単に朝ごはんをすませ、支度にとりかかった。共同装備のテント、補助ロープ、ツェルトを3人で分担し、7時ごろには支度が整った。

7:20 出発  新穂高駐車場登山計画書を提出し、まずは林道歩き。いつもより雪は多かったが、しっかりしたトレースがあり、歩き易かった。今年は雪が豊富なためか、入山者が例年より多いと思われた。穂高小屋までは自分が先頭を歩いたが、三日間の山行で自分が先頭を務めたのはこの区間だけだった。

8:40 穂高平小屋 穂高平小屋で休憩を取り、さらに進む。雪は多くなっていくが、まだトレースはしっかりとある。途中下山してくるスキーヤーに出会った。スキーが多いためか、トレースは肩幅程度の広い轍になっていた。

10:15 白出沢出合 白出沢出合を過ぎた西尾根取りつきで一休憩。自分たちより先に到着していた3人パーティに見覚えがあった。昨年涸沢岳の登頂した時、いつも前後していた泉州山岳会のメンバーだった。時期も丁度去年のこの時期だった。奇遇と言えば奇遇だが、山ではよくある出会いだった。お互い1年ぶりの挨拶を交わした。ここでアイゼンに履き替えるパーティもあったがもう少しワカンで行くことにした。いよいよ西尾根の急登だ。

11:40 1800m地点 ここでアイゼンに履き替え、ワカンはデポしていくことにした。ここまでまだ緩い登りだったが、いよいよ本格的な急登が始まる。かなり体力を消耗した。フィックスロープが張られたきつい登りでは、だいぶん二人に離されてしまった。

13:00 2100m地点 テント場まで後もう少しだったが、さすが息切れしてしまい小休止をとった。泉州山岳会のパーティはまだ後だったが、女性一人の姿が見えなかった。歩き始めるとすぐ上のポイントで小休止しながら後続二人を待っていた。後続は男性だったが、この女性が一番強いようだった。

14:30 2370m テント場 ようやくテント場の到着した。まだ登りのトレースが残っていたので、先行パーティはまだ上でテントを張っているようだった。まだ時間が早かったが、広いここのスペースでテントを張ることにした。泉州山岳会のパーティーも上がってきた。去年と同じ場所でお互いテントを張った。昨年よりも早い時間にここまで来れ、天候もよく、風もあまりなかったので、外で食事をとった。食事中にもう1パーティ上がってきた。30-40代の5人組だった。聞けば、ユーチューブでおなじみのメンバーだと言う。山ではいろいろな出会いが待っている。時間が過ぎ、外も冷えてきたためテントに入り、明日の水作りをしてから、早々に休んだ。

2月12日 4:45 出発 テント場 3時起床、隣のユーチューブ組がもう話し声が聞こえていた。準備を始めているようだった。早速、朝の支度にとりかかった。テントをデポしていくため、軽装になった。ただ、出発はユーチューブ組、泉州山岳会より遅れ、一番最後になってしまった。途中、上のテント組の姿も見え始めた。4張のテントがあった。今年は登山者が多い。先頭はもうすでにかなり上まで登っていた。

6:45 蒲田富士 去年はトレースもなく、ナイフリッジの通過にはかなり緊張したが、すでにトレースがあり、今年は楽をすることができた。稜線直下は毎年ルンゼを登っていたが、今年は雪が多かったせいか先行組はルンゼを避け、ガレ場の尾根を登っていた。少し迷ったが距離は短いルンゼルートを選択したが、トレースがなく、やはり雪も多く、ラッセルになった。尾根ルートの方が早かったかもしれない。稜線に到着し、一服。後続パーティも上がってきた。ペースがゆっくりになっていたかもしれない。ここからは稜線を歩くのみ。毎年この稜線では強風に吹かれていたが、今年の風は時より強くなる程度で今までで一番の好条件だった。

9:35 涸沢岳 山頂 登頂、しかし今回はここで終了ではない。ただ、いつもながら景色は最高にいい場所なのでしばらく見渡していた。そして、早々に穂高山荘に向かって下った。

10:00 穂高岳山荘 小屋では先行組がゆっくり食事をとったり、奥穂高に向けた準備をしていたりした。天候は晴れ、風も強くはなかった。自分たちは冬季小屋を探した。T君が以前小屋の場所を確認していたので、場所はすぐ分かったが、入口は雪の下だった。スコップで掘り返した。雪から出た柱や小屋の庇の位置を手掛かりに目星をつけ、掘り返した。1ⅿ程度掘ったところで空洞が現れた。入口はさらにその下1ⅿくらいのところにあった。穴を広げ、さらに堀すすみ、空洞の中に入り、戸を押し開けた。中は静かで、暖かく、雪の下の別世界だった。中に入るともうここに居座ることに決めた。今日のうちにテント場に戻る選択もあったが、すぐ却下となった。小屋の中でしばらく休んだ。南向きの小窓からは太陽の光が差し込み、なんとも言えない温かみを感じた。とは言え、そんなにゆっくりもしていられないので、奥穂登頂の準備を始めた。ザックはさらに軽装になり、再び寒い外に出た。

11:45 出発 穂高岳山荘 核心は最初、梯子を上り、急なルンゼを登り切れば、後は山頂に向かって歩くのみ。天候も良く、快適だった。

13:00 奥穂高岳 山頂 山頂では3人の記念写真を撮った。見ると、ジャンダルムに向かうトレースがあり、しばらくすると一人やって来た。聞くと、ジャンダルムまで往復してきたらしい。途中腰までのラッセルだったとか。強者がいるものだ。自分たちにも一人強者がいた。T君の趣味は写真で登りよりも写真が目的だ。千載一遇のこのチャンスをモノにするため、一人残って夕暮れを待つと言う。天気は良かったが、やはり寒い。P君とともに先に下り、T君は稜線でシャッターチャンスを待つことになった。

14:45 穂高岳山荘 帰着 先に小屋に戻り、早速荷物を小屋に広げ、くつろいだ。他のパーティは皆テント場に降りた様子で小屋は貸し切りだった。広く、清潔で快適な小屋だった。土間と板間があり、入口から板間まで二つの土間を経由しているので外の寒気も中まで入って来ない。しばらくP君と明日の水をつくりながら談笑しながら過ごした。T君は6時半ごろに戻る予定だったので、先に食事も済ませた。当然、一杯飲むことになった。T君ことが気になったが、お互い好きなことをしているのでいざという時は仕方ないと割り切った。だいぶん日も暮れ始めたころ少し心配になり、外に様子を見に行った。だいぶん暗くなっていたが、丁度ヘッドライトを付けたT君が下りてくるが見えた。これから梯子を下るところだった。これで安心できた。聞くと、今までにない最高の1ショットが撮れたとうれしくしていた。写真家の執念を感じた。

2月13日 6:30 出発 穂高岳山荘 少しゆっくり目に起床、T君は朝焼けをとるため一人先に涸沢岳に向かうという。山頂で落ち合うことにした。6時出発の予定が6時半になった。出発時間は30分余裕を持った方が良いようだ。稜線の朝の寒気に凍えた。この寒気の中、稜線で一人じっとシャッターチャンスを待つT君の気が知れなかった。30分ほど山頂に到着、見るとT君はさらに先の稜線の先端で写真を撮っている姿が見えた。写真を撮った。この写真は後でT君はひどく喜んでくれた。風景の写真はたくさんあるが、写真を撮っている自分の写真はあまりないらしい。下山時は風に吹かれたが、順調にくだることができた。ただ、なかなか体が温まらず、手足が冷えた。

9:35 テント場 帰着 テント場に戻ると右小指が膨れ上がっていた。凍傷になっていた。さらに昨年痛めた右ひざも調子が良くない。右足に力が入らなくなっていた。テント撤収後、そそくさと下山した。

10:35 出発 急登の下りはきつい。足に来た。左足一本で下山しているようで、かなり二人に離されてしまった。

12:15 白出沢 白出沢からの林道は快適だった。去年はトレースがなく、雪を踏み抜きながら歩き、後から一番の核心だったと思うほどきつい林道歩きだったが、今年は幅広のトレースがしっかりあったおかげでハイキングのようにすいすい歩けた。かなり時間も早く、駐車場に着くことができた。

14:30 着 新穂高駐車場 下山後、平湯の森で温泉に入り、食事をしながら、次の山行計画を話し合った。3月に五竜岳、4月に白馬主稜を目指すことになった。

2月19日 北八ヶ岳 湯川渓谷 アイスクライミング講習会 高本、他

アイスクライミングでリードができるようになることを目的に桑原清氏が主宰する「ツェルマットアルピニストスクール」のアイス講習に参加した。

当日は須玉IC出口付近のコンビニ駐車場で清原氏と待ち合わせ。受講者は自分を含め3名、後の2名は清原氏の車に同乗しており、自分は自車で現地まで移動。集合時間が遅れ、湯川渓谷に到着したのはもう11時ごろだった。車で行ける一番奥の林道から下るとすぐ沢に降り、左右には何本もの立派な氷柱が並び立っていた。既に2-3パーティがトップロープでアイスクライミングを行っていた。まず桑原氏がトップロープを張り、練習を開始した。垂直に近いバーチカルなアイスにはなかなか苦労した。足が大事と分かっているものの、どうしても腕に意識が集中してしまう。そうすると足が外れ、体勢を崩してしまい、体勢を元に戻すのに腕力を使うしかなくなる。すぐに腕がパンクし始めた。桑原氏は温和な初老の方だったが、年齢を感じさせないクライミングをされる。三点支持を基本にした登り方、スクリュウーのねじ込み方、ヌンチャクのセットの仕方、氷の基部でトラーバースしながらの練習方法などを教わった。トップロープで確保しながらの疑似リードの練習も何度か行った。今の自分の技量ではバーチカルアイスでのリードはまだ無理だったので、いい練習になった。桑原氏からも傾斜の緩いアイスであれば、リードもできるだろうと言われた。次回は緩いところでリードクライミングに挑戦しようと思う。

222日 愛鷹連峰 越前岳  加藤、小野田、苫米地

■十里木駐車場7:45=山神社駐車場8:00→8:45愛鷹山荘8:50→9:15富士見峠→10:15富士見台→10:45越前岳(1,504m)11:20→12:45十里木駐車場

朝、十里木駐車場で待ち合わせて車を一台置き、山神社駐車場に移動して歩きはじめる。雪が二週連続で降ったせいか、林道に雪があるか心配したが駐車場までは雪が積もっていなかった。登山道には雪が残っていて、愛鷹山荘で休んだ時に軽アイゼンをつけて歩き、ふまれているので普通に歩けるが道を外れると、ひざ下ぐらいまでもぐった。頂上では木々の葉でいつもは見えない富士山も枝の間から見えて、天候にもめぐまれて伊豆半島や駿河湾もよく見えた。計画書では山神社駐車場往復を計画していたが車を十里木駐車場に置いてあったので十里木駐車場に下山した。久しぶりの厳冬期の愛鷹連峰を楽しめました(加藤)。

愛鷹山に精通している加藤さんが今年の登山初めということで、体力維持も兼ねて連れていってもらった。愛鷹山は高校生と一緒に毎年というほど登っていたが、山神社からのルートは初めてだった。当初はピストンの計画だったが、車2台になり十里木への縦走になった。富士から裾野へ抜ける国道469号に雪はなかったが、山神社への林道にはいるとところどころに雪が残り凍結していた。平日だったが山神社からは他にも登山者がいた。つぼ足で愛鷹山荘まで登り、ここでチェーンスパイクに履き替えた。ここからひと登りで黒岳方面への分岐の富士見峠だが、木の間越しに富士が覗ける程度だ。ここから左折して稜線通しに西へと緩い登りが続く。チェーンスパイクが心地よく効いて快適な登りだ。トレースを外すと雪は膝丈ほどだ。途中、南側の鋸岳の展望が素晴らしい地点があった。鋸岳の北面は雪が融けず真っ白だ。1時間強の登りで富士見台に到着。ここは掛け値なしに富士の絶好の展望所で、戦前の紙幣の絵柄になったと説明板にある。小休止のあと約30分の登りで越前岳の山頂に到着した。南側は駿河湾の絶景で内浦湾、大瀬崎、三保半島が一望だ。西には富士川を隔てて安倍奥の山々が白く連なっている。北の富士山側は樹林に遮られて山頂部が覗く程度だ。存分に眺望を楽しみ、昼食を食べ、デザートに加藤さんから草餅をいただく。風も弱く、陽光を浴びて至福のひと時を過ごしてのち、北面を十里木へ下山する。途中で樹林が開ける場所があり、まるで富士山の懐に飛び込んでいくような豪快な下りだ。宝永火口付近に雲が湧き出した。電波中継所辺りまで降りてくると雪が途切れて泥道になる。下山した駐車場で靴とチェーンスパイクの泥を洗い流す。まだ陽は高く、なんかお得感がある一日だった。今回は加藤さんのホームグラウンドなのですべてお任せでおんぶにだっこだった。自分にとっては久しぶりの愛鷹連峰だったが、まるでガイド登山のような安心感があった(苫米地記)。

2月23日 安倍城址 赤石、他1名

 内牧から安倍城址に登り増善寺に下山、登り返して山頂へ、西ヶ谷に下山した。内牧からは「みどりの道コース」をとらず、最奥の家の人に聞いて、植林地につけられたブルドーザーの道を上った。登っていくと西ヶ谷コースと合流し山頂に達した。昨年パトロールの折に内牧へ下った「みどりの道コース」は荒れていたがこのブルドーザー道を辿ると安全に登れる。山頂には数人の登山者がいた。市街地が一望できていつ来てもゆっくり楽しめる。増善寺に下る。登り返しは同じ道を避けて、地形図にある沢筋に描かれた道を辿ることにした。登りはじめから道は不明になる。沢筋に回り込むにはざらざらした斜面をトラバースしなければならないので尾根状を直上した。ザラザラだが立木、木の根や枯れ木の根元などをつかんで這い上がるように登った。この道は廃道になっているようだ。ハイキング道の尾根にでて山頂へ。西ヶ谷へ下り道路を歩いて内牧へ、駐車したブルドーザー道入り口に戻った。思いがけずハードなハイキングになった。(赤石記)

2月26日 八ヶ岳 阿弥陀岳南稜 苫米地、高本、堀部

■舟山十字路入口5:50…7:00広河原南稜取付…8:30南稜稜線…11:00立場岳…12:50無名峰…16:00広河原取付…16:50舟山十字路入口

★前日昼過ぎに堀部さんとノンビリ出発。快晴無風で車内は暖房も要らないほどだ。舟山十字路入口までくると工事車両以外進入禁止の立て札が道のど真ん中に立てられていた。2週間前の下見の際には除雪してなかったが舟山十字路のゲートまで入れたのに…。とりあえず入り口脇のスペースに駐車し徒歩で偵察にでかける。約20分でゲートへ到着。旭小屋方面と御小屋尾根方面へのトレースを確認したが、工事をしている様子はない。御小屋尾根から阿弥陀岳に日帰り登山した下山者によれば快晴無風の絶好の登山日和だったとのこと。進入禁止の立て札については、先日スタックしてしまった車があったので立てられたらしいとのことだった。いずれにせよ除雪されているとはいえ、幅が狭くて両側に固い雪の壁ができてしまっていて軽四駆でないと進入は難しい。目立たぬよう進入禁止の立て看板から100mほど入ったところにテントを張りさっそく水炊きで前夜祭だ。

当日立場岳2370mワカンラッセルで南稜へ取付く3時に起床し5時半に駐車スペースで高本さんと合流。6時に出発して約30分で舟山十字路に到着。高本さんが秋に偵察した旭小屋経由ではなく、広河原沢沿いの林道経由のルートを選択。右手に見える南稜末端部のコルへの登路を探す。堰堤手前に南稜への踏み跡と赤布を発見する。すぐに踏み跡は消えてしまいワカンを装着。ん~、いったい何年ぶり?ワカンをはいても雪は膝上で急斜面では腰から胸の深さで要奮闘努力である。稜線上までの標高差わずか数十mに約1時間近く費やす。稜線上に出るとそこにはトレースが…。帰路に確認すると我々の取付き点から約20m先に立派な指導標があった。後続パーティーが3組登ってくる。1パーティーに先行を許すも遅れを取り戻すべく立場岳へと急ぐ。P3で順番待ちになるとかなわない。快晴無風の上天気で樹林帯のなかでも汗がにじむ。アウターを脱いでさらに頑張る。11時過ぎに立場岳に到着。事前の計画より1時間遅れだが、設定したタイムリミットにはなお1時間の余裕がある。天候は申し分なくトレースもあることから前進を決定する。立場岳から青ナギへ進むとようやくアルペン的な阿弥陀岳上部の全容が見渡せる。ところがここから雪が一段と深くなり、トレースがあっても大股で深く、少し踏み抜くと腰丈の深さで難渋する。ようやく無名峰まで到達したがすでに13:00、すでにP3基部へ到達すべきタイムリミットだ。さて前進すべきか、それとも撤退すべきか?天候は依然として快晴である。だが山頂に抜けても下山は20時近くになるだろう。それは成功した山行と言えるだろうか?自身の年齢と体力から考えると山中で全力を出し切ってしまう山行を成功だとは思えなかった。楽しみにしていた高本さんや堀部さんには悪いが撤退を決めた。これからメインディッシュという直前での寸止めとなり複雑な心境だ。素晴らしい眺望に背を向けて下山にかかる。途中で登っていく2パーティーとすれ違い、1パーティーが幕営準備をしていた。この積雪量では本来1泊2日のルート(標準コースタイム13時間)なのである。私も堀部さんもそれぞれ若い時分に日帰りで踏破した経験がある。さほど困難な記憶もないが比較的積雪量が少ない12月から1月にかけての登山だったし、体力的にも現在とは格段に強かったのだろう。今回も登りでは高本さん、堀部さんになかなかついていけずにソーシャルディスタンスはタップリ過ぎるほど取れてしまった。今少し体力を回復した上で、もう少し積雪が少ない時季を選んで再挑戦したい(苫米地記)。

5:50 船山十字路  駐車場スタート前夜着、船山十字路への林道は通行止めになっており、看板手前の脇に駐車し、前夜泊。朝いくつか想定外があった。ヘッドライト  の電池切れ、ワカンのストラップが切れていた。なんとなく嫌な予感がよぎる。広河原沢への林道から阿弥陀南陵への尾根に上がるルートを行くことになった。前回は南陵南側を回り、旭小屋から尾根に上がるルートを登った。予定していなかったルートでどこから取りつくか分からなかったが、行ってみればわかるだろうと詳しくルートを確かめなかった。1時間ほど歩き、尾根への分岐らしき所まで来た。

7:00 林道分岐 林道から沢に向かったが、少し先からトレースがなくなった。見上げると尾根が見えた。さほど高くはなかった。その時はさほど時間はかからないだろうと思った。まず沢を渡らなければならなかった。雪が深く、踏み抜かないようストックで確かめ、対岸には雪を落として沢の石を足場にして這い上がった。尾根に向かってラッセルしながら登ったが、思った以上に雪が深く、尾根手前の岩場は西側に巻いて尾根に登った。ラッセルはやはり時間がかかった。

8:30 尾根 1820m 尾根に上がってルートを間違えたことに気づいた。自分たちが登ってきたルートと並行して、少し東側にしっかりトレースにあるルートがあることが分かった。やってしまった、と思った。おそらく1時間近く時間をロスしたのではないか?まだ、その時は何とかなるだろうと思ったが、この時間のロスが後になって大きく影響することになった。一休みして、立場山に向かって登り始めた。立場山まではなだらかな登りが続くが、標高差は約550mある。時間のロスを取り返したくて、休みなし1ピッチで登った。

11:00 立場山 2370m 立場山頂上で休憩。ここからは平坦な道になる。青ナギを通過し、進んでいくと雪が少しづつ深くなってきた。無名峰手前から急登になった。場所によってはリッジのように切り立ったような箇所もあった。徐々に岩稜帯に向かっていることを感じた。

12:50 無名峰 2540m 無名峰で一休み。苫米地さんの判断でここで引き返すことになった。残念だったが、時間が押していたので仕方がないと思った。下山は足が遅くなった。少し気力もなくなってきたようだった。広河原沢まで降りたところで苫米地さんにお願いし、スノーバーの使い方、スタンディングアックスビレイの練習を行った。

16:50 船山十字路 暗くなる前に下山できてよかった。ただ、大きな反省が残った(高本記)。

舟山十字路への車の乗り入れができなかったり、朝、出発が遅れたり、初めてのワカン、靴擦れなど、小さなトラブルが重なった。体力的にはまだまだ行けたが、帰路の林道で靴擦れ痛が限界に達した。その後も別荘地の道路が、路駐していた登山者の車列とスリップしたタクシーで塞がれ、最後には林道に鹿の群れとタヌキが飛び出してきて衝突寸前だった。またの機会に再挑戦したい(堀部記)。

2月27日 三ツ峰 赤石、鈴木、他1名

私の住んでいる大川地区(旧大川村)ととなり村だった井川地区(旧井川村)の境にある七ツ峰に登りに行った。この山並みは藁科川と大井川との分水嶺にもなっている。2月の半ばから雪が積もって白く見えている。富士見峠に駐車して尾根筋の道を辿る。歩き始めから積雪はくるぶしからすねほどありアイゼンをつけた。わかんを持ってくればよかったほどの雪で歩きにくい。崩れたトレースがあったが途中で引き返したようだった。三ツ峰で一休みした頃から曇ってきて風が強くなり雪も舞い始めた。七ツ峰までは行けそうもないと感じ始めた。尾根から降りて開拓時業の農道を歩く頃から更に風と雪が吹き付けてきた。七ツ峰は霧と雲の中で見えない。この天候と雪道の状態では行けそうもなく、引き返すことにした。三峰まで戻った頃に急に晴れ間が見えて日が射した。寒冷前線が通過したのだろう。強い風は残ったが空はきれいに晴れた。雪の自然林の中をゆっくり楽しんで12時半過ぎに富士見峠に戻った。市街地から1時間少しで来ることができる雪の積った静かな山歩きだった。時間が早かったので井川スキー場(リヴァウェル)に寄ってみた。富士山、南アルプスの山々が望める場所にあるスキー場は、青空のもと風は強かったが家族連れで賑わっていた。(赤石記)