9月17日~18日 八ヶ岳:硫黄岳 苫米地、他27名
■9/17(土)静高6:00==バス==…稲子9:15…12:15本沢温泉(幕営)
9/18(日)3:30起床5:00…6:50硫黄岳…8:00本沢温泉9:00…11:20稲子==11:40八峰の湯12:45=15:35静高
★ 夏合宿がコロナで中止になった高校山岳部の秋合宿に帯同した。上部の駐車場にバスが入れなさそうということで、かなり下部の稲子の部落から登った。傾斜はゆるく軽トラが入れるような林道をほぼ一直線に登っていった。団体装備や食糧を背負う高校生たちと比べてかなり荷は軽いのだが、彼等のペースについていくのは大変だ。中腹のマイカー利用者の登山口からも歩きよい道で、最後まで高校生のペースは落ちなかった。台風が近づいていたが、この日は降られず。露天風呂の標高は日本一とか。川べりに二畳ほどの湯舟があるだけで脱衣所もない混浴である。泉質は白濁した硫黄泉で湯上りに肌がとてもサッパリして心地よい。三人先客がいてうち女性が一名。あまりに堂々としていたので近づいてみるまで気づかなかった。湯上りにビールを飲んで夕方までのんびり過ごす。夕食は水ギョーザだったが冷凍モノだった。露天風呂は夜は入浴禁止。露天風呂の見学に来ていた女子の顧問と部員たちを追っ払い、日没直前に再入浴。深夜から雨。
翌朝は霧雨程度なので硫黄岳ピストンに向かう。朝飯のスパゲティカルボナーラが喉を通らず行動食のパンで済ます。荷物のハンデがないので高校生たちに遅れながらヒーヒーついてゆく。夏沢峠を過ぎて高山帯に出ると風が強まる。硫黄岳山頂では冷たい雨が吹き付けて手がかじかみ早々に下山する。テントを撤収して長い下りをハイペースで飛ばしていく。途中から雨があがり晴れ間がでてきて暑い。混みあう日帰り温泉で汗を流して帰路に着く。そうか!世間は連休だったのか。
9月21日 愛鷹連峰:位牌岳 加藤
■大棚の滝P 6:00—6:48 沢山橋—7:50 第一展望台8:00—9:10袴腰岳—9:35一服峠—10:20位牌岳10:40—11:13一服峠—11:30袴腰岳—12:25第一展望台12:40—13:30沢山橋—14:00大棚の滝P 行動時間:8時間
★ 前日まで雨が降っていたので沢山橋からの登山道にはところどころ沢のように水が流れていた。天気は曇っていたが位牌岳頂上手前のあたりでは日がさし気持ちよく富士山も見ることができた。頂上手前にはトリカブトの紫色の花も咲いていた。台風14号のあとだったが倒木もなく、スムーズに登山できました。下山して大棚の滝付近で男女3名の人に会う。その人たちは大岳に行ってきたと言ってました。
9月23日~24日 茶臼小屋小屋じまい 赤石、鈴木
★23日 朝7時に静岡駅で待ち合わせ、井川沼平の登山指導センターに10時頃ついた。台風15号の前触れの雨が降っていた。先発隊の7人は7時頃に出発していた。雨の様子を見て横窪沢の小屋まで登ろうと考えていた。雨が次第に強くなってきたので、この日の登山はやめてこの台風の通過をまって、翌日登ることにし登山本部や小屋に連絡した。昼過ぎまで指導センターで踏岳会の海野さんと過ごした。県警の救助隊員のグループが登ってきたので、挨拶してから白樺荘に下りて泊まることにした。翌日も登れなかったら指導センターに泊まることにする。夜中に雨が激しくなり雷もすごかった。
24日 5時に起きたら晴れていて台風は過ぎていた。連絡が入って白樺荘と沼平の間は土砂崩れで通れないとのことだ。この日の登山はあきらめた。井川からの出口の道路はすべて土砂崩れで閉鎖されているとの連絡が入った。登山本部、山小屋に連絡して登山は中止して帰宅することにした。昼過ぎには通れそうだとのことで富士見峠に向かった。途中千頭方面への道路は入り口で閉鎖されていた。富士見峠には数台の車が道路が空くのを待っていた。3時頃には開きそうだとのことなので、大日峠まで1時間半ほど歩いてきた。まだ開いていない。今日は開かないとの連絡が入った。待っていた車は皆、白樺荘に戻る。途中、車の中で鈴木さんがヌルッとするものに触ったと車を降りて座席を見るとまるまるした黒いヒルが動いていた。更に床にもう一匹。足と靴下は赤く染まっていた。8ヶ所咬まれていたとのことだ。翌日僕が家に帰ったら畳の上にもう1匹落ちた。血を吸っていたが僕は咬まれていなかった。白樺荘へ2泊の旅になった。
9月27日 愛鷹連峰:大岳 加藤
■大棚の滝P6:00…6:30須津山荘…7:50 806m地点…9:15大岳(1262m)9:35…10:35 806m地点…11:15須津山荘…11:45大棚の滝P
★須津山荘のうら山をひたすら登りつめ、ひのき林をくだって広葉樹林の中を大岳山頂にむかってまた登りつめると山頂に到着した。展望はきかないが途中で位牌岳方面や田子の浦の海が望める場所もあった。呼子岳方面は廃道になっていた。下山してきたら熊笹をとっている人にあい工芸品を作ると言っていた。久しぶりに天気にめぐまれた山行でした。
9月27日 浜石岳 小野田
■由比駅9:35—11:15 三本松へ山道①—11:45三本松、炊事場12:00—12:25薩埵峠へ分岐—-12:45浜石岳14:00—14:35三本松—14:40駐車場—車道—14:52①—16:10由比駅
★彼岸花があちこちに沢山咲いていた。この西山寺コースはミカン畑の中を通り海を見ながら歩けて良いのだがずっと舗装路。ただ頂上近くの三本松経由は山道なのでいつもそこを往復していた。三本松までの細い道は先日の大雨でかなり土が抉られていた。他に登山者はなく静かな頂上。海を見ると色がくっきり2色に分かれていた。一瞬、濃い方は陸なのかと思った程。23日の台風15号の大雨による泥水が河口から流れ込んでいたのだ。数日経っているので色は白っぽくなっている。こんな海を見たのは初めてだ。富士山の下半分は雲。だが良いお天気、ススキも綺麗で1時間以上休んでいた。下る頃2人が登って来た。私はもと来た南の山道に戻り三本松から少し下った分岐を初めて左に。抉れた山道は膝を守る為に避けた。すぐ広い駐車場に出てそこから車道を下った。山道より4倍位大回りだが分岐まで12分しかかからなかった。すると私と入れ違いに頂上に来た2人が既に前を下っていてびっくり。私とは反対に北側に数分下ると駐車場がありそこから来たと。その車道も大回りで時間が掛かると思い一度も使った事がなかった。次回はその道をチェックしたい。
10月2日 恵那山 宮前ルート往復 高本
■9月30日 前泊 恵那山神社 駐車場
10月1日 5:35 駐車場 発 ⇒ 6:00 登山口 ⇒ 8:50 1800m ⇒ 10:50 恵那山山頂小屋12:00 下山 発 ⇒ 15:20 駐車場 着
(標高差 1541m 駐車場 650m 山頂 2191m 登り時間 5h15 下り時間 3h20)
★4月に白馬主稜に登って以来、約5ヶ月ぶりの本格的な登山でした。仕事が忙しくなり、登山どころかトレーニングもほんとんど出来ていなかった。仕事のストレスに加え、山に行けないことで一層ストレスが溜まることが心配だったので仕事が一段落するまで登山は休むことにしていた。ようやく仕事の忙しさもピークを越えたため、今自分がどれだけ登れるか確認する山行だった。恵那山は標高2191mと山伏より少し標高が高く、丁度手ごろの山だと思っていた。ところが標高差1500m以上、特に1800m越えたところからなだらかではあるが長い尾根歩きが続く。標高は低くても、標高差、距離では3000m級の山にもひけをとらない山だった。トレーニングも兼ね、ザックにはビバーク用のツェルト、シェラフカバー、水は2.5Lを詰め込んだ。恵那山は信仰の山でもあり、御嶽山や駒ヶ岳もそうであるように修験者が昔から歩いて来た道はしっかりしている。1800ⅿ付近まではなかなかの急登で、途中熊笹の群生地では朝露で全身がずぶ濡れになった。また、道はしっかりしているが木の根が張り出しているところが多く、滑りやすかった。1800ⅿを過ぎるとなだらかな長い尾根に入るが、もう楽できるだろうと思っていたがなかなか山頂に到達しない。急登と尾根歩きの二つを楽しめる山でもあった。山頂には立派な小屋があった。冬山訓練をするのもいいかもしれない。また一之宮から九ノ宮までの小さな社があり、この山が信仰の山であることを偲ばせていた。山頂では意外にたくさんの登山者が休憩したり、食事をしたりしていた。おそらく、神坂峠から登ってきた登山者と思われた。神坂峠のルートは標高差も少なく、登りやすいのだろう。山頂でしっかり休憩し、食事を済ませ、下山した。駆け足で降りたら後半は足に来た。最後はふらふらになりながら麓にたどり着いたやはり、山の体力は一夕一朝には回復しないことがよく分かった。体力作りからやり直して行こうと思った山行でした。
10月1日~3日 鬼怒沼山、百村山 赤石、鈴木、他2名
★1日 日光市の鬼怒沼山登山口、女夫淵駐車場に午後3時頃着いた。宿からの送迎バスがあるが、奥鬼怒歩道を約1時間半歩いて宿の「加仁湯」に5時前に着いた。ホテルのような宿で温泉が自慢とのことだ。
2日 6時前に歩き始める。10分ほど車道を歩くと日光沢温泉の宿がある。こちらは山小屋風の大きな建物だった。建物の2階をつないでいる渡り廊下の下をくぐって登山道が始まる。すぐに南側の根名草山への分岐がある。根名草山は数年前に田村、安部さんと金精峠から温泉ケ岳を経て登った山だ。鬼怒沼への道は急登で石がごつごつしているが歩かれているようでしっかりしている。木造の階段がいくつもある。傾斜が30度を超える登山道では手でつかまって登るところが多いとのことだが、この登りでもそうだった。山はブナやあすなろの木などの自然林だ。下山してくる人に2人会った。小屋で泊まったとのことだった。やがて傾斜は緩くなりダケカンバが見られる。道も土に変わってきた。林を抜けると広々と鬼怒沼が拡がっていた。奥に緑の鬼怒沼山がこんもりある。この日は、今年初めて感じるような好天気だった。僕たちが一番目のパーティだったので誰もいない。沼の入り口のベンチに座って草紅葉に変わってゆく鬼怒沼の景色をゆっくり楽しむ。沼には木道があり一回りできる。この木道を北に向かい6キロほど歩くと尾瀬の大清水につながっている。大清水から登ってきた人がいた。沼は草原のように見えるが木道を歩くと点々と沼があり澄んだ水は空を写していた。対岸の避難小屋の横から鬼怒沼山への道がある。林の中の軟らかい土の道はストレスを感じない。往復2時間ほどで戻り、池に名残を惜しんでベンチでゆっくり景色を楽しむ。北には燧岳、平ヶ岳など南には日光白根山、根名草山が望める。この時刻になると登山者が増えてきた。下山で何組ものパーティとすれ違った。つまずかないように気をつけながら木や石につかまりながら下り日光沢温泉、加仁湯に戻り、温泉につかってから送迎バスに乗った。久しぶりに乗った無舗装の道路をゴトゴト走るバスは子供のころを思い出させた。標高差 940m、12.6キロ、8時間弱だった。(赤石)
前日、女夫淵駐車場(ほぼ満車)から90分歩道経由で宿泊する加仁湯に着いた。朝5時50分に宿泊地を出発、途中で宿のおにぎり弁当を食べた。9時頃鬼怒沼、視界が開け池塘や日光白根山が見えた。しばらく行くと燧山が見えた。位置関係がわかった。避難小屋を通過して山頂に10時頃到着。13時30分下山着で宿の温泉に入浴できた。14時30分の送りバスでガタゴトの狭い林道経由で女夫淵駐車場。こんな奥に4件の宿泊施設があるとはすごいと思った。(鈴木)
3日 百村山 前夜道の駅に泊まった。百村山は那須塩原市にある。この山は北に黒滝山、大佐飛山に連なり、更に北の分水嶺である脊梁山脈の男鹿岳から派生している末端の山になる。残雪期に大佐飛山までの山並み歩きは雪の回廊という感じで、往復13時間ほどかかるという。これに憧れて登山口の下見を兼ねて登りに行った。登山口までの道路を探すのがやや難しかった。山は植林地が、杉から桧の林、更に唐松の植林その上が自然林になっていた。丸い山頂は周りの木が切られていて麓の村が見えた。カタクリの群生地との看板があった。三角点があり木に山名板がつけられていた。もっと先までとも思ったが、帰りの道路状況を考えてここまでとした。ゆっくり休んでから下山。11時前に走り始めて帰宅は6時ころだった。この山行は標高差600m、6.8キロ、4時間半ほどだった。(赤石)
道の駅に前泊、登山口は光徳寺からか、すぐ隣の林道となるがわかりにくい。
お寺の入り口付近に車を駐車させて頂き、本堂の左脇の道から登る。登山道は柔らかな土で歩きやすかった。那須の山々が見えた。百村の百村山、約4時間の山行だった。(鈴木)
10月4日 薩埵峠~浜石岳 小野田
■興津駅8:30—墓地登山口8:55—9:10薩埵峠—9:10東屋9:20—迂回路—9:40薩埵峠駐車場9:50—10:07ハイキングコース入口—11:50立花池分岐—12:00立花池—13:05但沼分岐—14:00浜石岳14:52—14:55駐車場—15:35山道分岐①—-16:45由比駅
★薩埵峠の展望台付近が崩れ通行止め。東屋から急坂を下り工事用トラックが頻繁に行き交う迂回路で薩埵峠駐車場へ。車道を15分位登ると山道への入口に標識がある。このハイキングコースは何年も前一度友人と歩いた。樹林の中の平坦な道をお喋りしながら楽しく歩き、舗装路よりずっと良いなと思った記憶があるが、今回は全然違う感想。景色が見えず長い。物音がするとドキッとし一寸怖い。やはり少し暗い針葉樹林の中を一人で歩くのは苦手だ。あまり楽しめない。蜘蛛の巣を払う為棒を振りながら歩いたが何度も顔に浴び鬱陶しい。立花池への道は更に蜘蛛の巣が多かった。池は薄暗い森の中にひっそりと隠れていた。林の中でアサギマダラと黒アゲハを見た。但沼分岐辺りで道が大きく崩れていた。このコースは他に誰も歩いてなかった。頂上には車で来た数組がいた。海の色は先週のような境は無くなっていた。日射しが暑かったが風が吹き心地良い。今回は頂上北の駐車場から車道を下った。南の山道より15分位の短縮になる。今日は長丁場で疲れた。みかんはまだまだ緑色。